Vol. 07:有限会社大久保薬局 代表取締役 大久保多喜子さん

大久保多喜子さんはこの度、小田急線・六会日大前駅近くの住宅街で、30年近くに渡って経営してきた調剤薬局(桜花堂薬局)の事業承継を決意されました。

それは結婚と同時に、亡きご主人と始めたお店。

2014年にご主人が病気で急逝された後、9年間に渡って守って来た薬局です。

ご相談いただいたときに、閉店を決意したまでの経緯や、桜花堂の屋号をご主人がつけられた理由などを伺い、胸が熱くなりました。なんとしてもご要望に、最善の形でお応えしたいと思いました。

ただ、「体調的に年は越えられない」――とのご連絡をいただいたのは9月で、だいぶ期限が迫っていました。

事業承継の相手を見つけるには通常、数週間から一カ月はかかります。ですが、それだけかけてしまったら、手続き等をしている間に年が明けてしまいます。一方で、私をご信頼いただいて紹介させていただく以上は、私自身も信頼できる方でなければなりません。どれほど条件がいい方でも、土壇場で辞退されるケースも一定数ありますので責任重大です。

そのような状況の中、急ぎながらも慎重にお相手を探した結果、タイミングよく信頼できる方にお引き合わせすることができました。

今回の私の働きに、大久保さんはご満足いただけたでしょうか。私はご期待に応えることができたでしょうか。この11月。閉店後の店舗にお伺いし、娘さんである富永良子さんにも同席していただき、お話を伺いました。

(白形優太)


有限会社大久保薬局 代表取締役:大久保多喜子さんへのインタビュー

いつも楽しそうでした

――『桜花堂薬局』をご主人と二人で始めるまでの経緯をお話しください。

大久保さん:私は星薬科大学を卒業後、慶応義塾大学病院での研修を経て、東京女子医大病院で薬剤師として働いていました。薬剤師をめざしたのは、幼いころから身体が弱く、熱を出してはお医者さんにかかり、薬を処方してもらうことが多かったからです。普通、子どもはお薬は嫌いだと思うのですが、私は好きで、将来は薬を扱う仕事につきたいと思うようになりました。

主人は、私が4年生のころ、教室の研究生としてやってきました。今思えば、騙されたのかもしれません(笑)が、面白い人だなと、自分の大学の男子とは違う魅力を感じました。それで結婚と同時に女子医大の仕事を辞し、「調剤薬局を開業したい」という彼と一緒に開業しました。

――お父様はどんな人でした?

富永さん:面白い父でした。活発で外交的で、知り合いも友達も多かったですね。地域活動にも熱心で、父の生前、この街では、『湘南ねぶた』というお祭りをやっていました。車を通行止めにして、青森県からトラックで運んだ小さめのねぶたを運行して、跳人(ハネト)も登場して。日大前駅東口周辺をお囃子と共に練り歩いたんです。

父は1997年の開催当初からずっと運営に関わっていました。

地域のこともやりつつ、薬局経営もやって。パワフルに活動し過ぎて過労死したんじゃないかと思うことがあります。

2014年に急逝したので、引継ぎがむずかしかったのかもしれません。亡くなった後も5年ぐらい開催されていましたが、2019年から開催中止となっています。

大久保さん:外のことばかりやっていて、家にはあまりいない人でした。

富永さん:酔っぱらって帰宅して、下着姿でうろうろしていたイメージしかありません。(笑)だけど幸せだったんじゃないかと思いますよ。いつも楽しそうでした。

――急逝されたんですね。

大久保さん:薬局で亡くなりました。心不全だったそうです。

富永さん:午前中は一人勤務で、午後から出社したスタッフが、お店の裏で倒れているのを見つけて救急搬送したけれど、病院で死亡が確認されました。ねぶたの直前だったので、たぶん過労が原因だと思います。誰にも頼らず自分だけでなんでもやってしまう人でしたから。

――心配だったんじゃないですか。

大久保さん:そうですね、だけど言っても聞く人ではなかったので、放っておくしかありませんでした。

患者さんが大根を持ってきてくれる街

――お店はどこにあったんですか。

大久保さん:最初のお店は六会日大前駅前の大通り沿い。その後、もう一店舗を現在の場所に出しました。近所の内科の先生から、院内処方から外での処方に変えたいので、お願いできないかと主人が相談を受けたのです。

――『桜花堂薬局』ってきれいな名前ですね。

大久保さん:桜が大好きだった主人が名前をつけました。

富永さん:父は本当に桜が好きで、我が家は3人姉妹なんですが、一番下の妹も名前に桜が入っています。ちなみに私の娘も桜が入っています。(笑)

――地域の魅力はどんなところですか。

富永さん:小田急線沿線なので、藤沢にも新宿にも出やすいし、“街”な面もあれば、自然もある。暮らしやすいと思います。ちょっと行くと畑もありますしね。

大久保さん:のんびりしているし、人情がありますね。今日も患者さんが大根を持ってきてくれました。軽トラで乗り付けて、内科医院の先生のところとうちにって。

富永さん:農家の患者さんも多いんですよ。私は父が生きていた頃、薬局を手伝っていたのですが、土のついた長靴でいらっしゃる方が結構いらっしゃいました。お帰りになられた後は、せっせと掃除したものです。そういう土地なんです。

――薬局経営ではどんなことを心がけてきましたか。

大久保さん:私は経営は未経験で。主人が突然亡くなってしまってからはまったくわからなくて、スタッフさんに聞きながら、なんとか閉めずに頑張ってきました。

富永さん:大変だったと思います。父と違って、母は内気な性格ですから。

もう無理かな、限界かなと

大久保さん:朝、普通に出かけて行ったのに、死んでしまって。それから慌ただしくお葬式をして、大通り沿いの店を畳んで。銀行さんにいろんなことを教えてもらいながら、言われるままにいろんなことをやって、住宅街のこの店を続けてきました。

――今まで9年間やってこられて…

大久保さん:そうですね。でも周辺に大きなドラッグストアが何軒もできて、コロナ禍もあって、処方箋の患者さんも減って。本当にもう無理かな、限界かなと。

――お嬢さんとスタッフさんに支えられてきたんですね。

富永さん:私は近所に住んでいるのですが、長男がいわゆる医療的ケア児で、夫と交代で24時間看なくてはなりません。自分の家庭で手一杯で、母を支えることはできないんです。

――大ケガもされたんですよね。

大久保さん:はい。一年ほど前になりますが、外にごみ捨てに行く際に、駐車場の縁石につまずいて。両手にゴミ袋を持っていたので手を突くこともできず、思い切り転んでしまいました。リハビリを頑張ってはいるんですが、むち打ち症のようになってしまい、首を上げているのが難しく、すぐにうつむいてしまいます。腰も痛くてかがめないし、歩けない。患者さんに処方について説明するだけでも大変で、つらくて、もう限界かなと。店を閉めようと思ったのは、それが一番大きいです。

――スタッフさん納得されている。

大久保さん:薬剤師さんがお二人いらっしゃるんですが、私より年長なので、もういいかなと。ご近所にお住まいなので、なんとかやってもらってきましたが。それに募集しても応募はありません。問い合わせの電話は来ますが、立派なプロフィールの方だと、うちのような小さな薬局では申し訳なくて。きっとがっかりされると思うんですよね。

――10年近く頑張って来たのに、もったいない気もします。

大久保さん:身体がこんなにならなければ70歳ぐらいまではやるつもりでいたんだけどね。情けないですよ。

――それで事業承継を決意されたんですね。

大久保さん:ええ。大手の薬局さんに相談しましたら、白優社さんを紹介してくれて、いきなり電話してしまいました。もう限界なので、年内には閉じようと思っていますと。今年の9月のことです。2カ月も経っていません。

――それはまた急で。

大久保さん:こんなにとんとんと上手く行くとは思ってなくて、びっくりしました。ほんとにいいのかなと。ご連絡してから2週間ぐらいで相手が見つかって、翌週には決定しました。

富永さん:私は母が(事業承継について)電話したことも知らなかったので、いきなりで驚きました。ケガをしてからずっと悩んでいたので、閉店を考えているのは気づいていましたが。

患者さんが困らないようにしてほしい

――年内に決めたいという以外には、どのようなことを希望していましたか?

大久保さん:特にありませんでした。ただ患者さんが困らないように、薬局を続けて欲しいという思いだけです。うちの周辺は、ちょっと歩かないと調剤薬局がありません。患者さんはお年を召した方が多いので、今更遠いところに行くのは大変かなと心配しておりました。

――いい方が見つかってよかったですね。

大久保さん:そうですね。40代のご夫婦がやってくださることになりましたので、今後は、若い患者さんにも来ていただけるようになるのはないでしょうか。

――新しい展開も期待できそうが気がします。

大久保さん:新しい形の薬局に繋いでいただけるのではないでしょうか。これまでは私一人で手一杯で、在宅支援の要望に応じることができませんでした。でも、次の方たちなら、応えられるかもしれません。

富永さん:母は地域連携に興味があったんです。でも、なかなかできなくて。

大久保さん:処方箋を受け付けるのが精一杯でした。でも、地域の要望にお応えしたい気持ちはずっとあったんですよ。

『桜花堂』の屋号も引き継いでもらえる

――白形さんの仕事はいかがでしたか。

大久保さん:すごく真面目で、親切で。頼りになりました。あまりにもトントン拍子で、スムーズに話が進んだので、大丈夫かなと心配になるほどでしたが。要所要所で連絡をいただき、その都度、状況を教えてもらいながら大丈夫ですよと言ってもらったので、安心していました。

――改善点すべき点はないですか。

大久保さん:全然ないです、大丈夫です。(笑)頼りになります。

――ご主人の思いがこもった『桜花堂薬局』の屋号も引き継いでもらえるそうですね。

大久保さん:そうなんですよ、ありがたいです。

富永さん:私も、屋号は当然、変わるものだと決めつけていたので、すごくうれしいです。私の娘が今、高校生なんですけど。薬学部に進学して、自分が桜花堂を継ぎたいと言っていたんです。なので今回、ばあばが(薬局を)閉めることにしたから、桜花堂はなくなっちゃうんだよと言ったら、すごくがっかりしていました。それが店舗を残してもらえて、さらに屋号まで残してもらえるなんて。とても喜んでいました。

――事業承継して肩の荷が下りたら、身体の不調も改善するかもしれませんね。

大久保さん:そうですね。楽になるような気がします。

富永さん:今まで頑張って来たので、少しゆっくりしてもらいたいです。

――だけど、身体が楽になったらまた働きたくなるかも。

大久保さん:はい。薬局でなくとも、また仕事はしたいと思っています。

(取材・文 木原洋美)
(撮影 武藤奈緒美)


大久保さん、富永さん、喜んでいただいて嬉しいです。

私は5年前に藤沢で開業し、市の関係職員の方から、「市内の事業承継も手伝ってほしい」と言われていたのですが、横浜市内や他県の仕事が多く、なかなか市内のご縁がありませんでした。それもあって今回のお仕事は、かなり思い入れを持って、気合を入れてやらせていただきました。

ご希望通り年内に承継を完了するためには、あと1~2週間遅かったら、間に合わないタイミングでした。ですが、いくら期限が守れても、ミスマッチがあっては元も子もありません。

譲り受けられる方が規模の大きい会社さんであれば、M&Aは慣れていらっしゃるので交渉はスムーズです。共通言語もあってやりやすい面はあります。

ですが今回巡り合えたのは、経営のご経験のない、初めて独立開業されるご夫婦でした。娘さんが近所の学校に通学されており、このあたりでの開業を希望されているという、願ってもない方々でしたので、認識にズレがないよう丁寧にご説明し、確認しながら話を進めました。それでもトントン拍子に進んだのは、やはりご縁があったということでしょう。

いい事業承継は、単なる業務だけでなく、事業主さんが大事にしてきた想いを継ぎ、さらに地域社会の未来をも育む、意義深い仕事であると感じています。

いい機会を頂戴し、ありがとうございました。これからも、どうぞ宜しくお願いします。

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