Vol. 03:有限会社大橋ドラッグ 代表取締役 大橋 喜明さん

「私がいなくなっても店を存続したい」心臓の手術を経て考えた、オーダーメイド型の事業承継とは?

手塩にかけて育ててきた自分のお店。本当はずっと大切にしたいけれどいつかは手放さなければ…

横浜市南区で30年にわたり「大橋薬局」を経営してきた大橋喜明さん(62)は心臓の手術で入院したことをきっかけに「私がいなくなったらこの店はどうなるのだろう」と、店の将来に一抹の不安を感じるようになりました。ところが長年一人でお店を経営してきて後継者は不在でした。そこからどのように事業承継に至ったのでしょうか。

「薬局のオヤジになりたい」経営ノウハウ学び、独立の夢叶える

Q:大橋薬局は一代で築かれたそうですね。まずは薬剤師になった経緯や独立を考えた理由を教えてください。

A:父は群馬県で薬店をやっていて私にも薬剤師の道に進んでほしいという気持ちがありました。父の薦めもあり、私立大の薬学部へと進学したのですが、当時から「30歳までには独立して“薬局のオヤジ”になろう」と考えていました。

Q:働き始める前から独立を考えていたのですか?

A:上から言われたことをただやるのは苦手な性分なんです(笑)。だから“自分の城”を持って、そこで好きなことをやろうと。“薬剤師になるのなら自分の店を持つ”というのは自然な考えでしたね。

Q:明確な目標があるなかで、大学卒業後はどのような道に進んだのですか?

A:将来独立することを考えると、大手よりも小規模な店で経営のノウハウを学ぶ方が良いと考えていました。そんなある日、偶然、電車で銀座の漢方薬局の中吊り広告を見つけました。すぐに問い合わせてそのまま薬剤師として就職できました。

でもそこからが大変でした。金銭管理も含めていろいろやらせてもらったのですが、漢方薬局のビジネスモデルの奥深さを痛感し、「30歳までに独立するなんて、無理だ」と気づきました。その当時、ちょうどアメリカからドラッグストアが日本に進出してきたタイミングで、「これなら自分でもできる!」と飛び付きました。

Q:いきなり相談薬局を立ち上げるにはハードルが高かったのですね。

A:そうですね。そこで薬剤師の職業安定所の紹介で、横浜のドラッグストアに転職しました。店長として店を切り盛りしながら、OTC医薬品のことから広告の打ち方まで様々なことを勉強させてもらい、30歳になる前に会社に「やめさせてほしい」と伝えました。

Q:まさに初志貫徹ですね!でも、独立のあてはあったのですか?

A:いえ全く(笑)。そこで社長が「東京・大田区の糀谷で薬局をやらないか」と提案してくれたんです。私の貯金では足りませんでしたが、会社や当時の同僚が出資してくれて、お店を開くことができました。ギリギリ30歳になる前でした。

漢方薬局→ドラッグストア→調剤薬局、ようやく築けた“自分の城”

Q:「30歳までに薬局のオヤジになる」という夢が叶いましたね。

A:はい。でもお店はライバル店が軒を連ねる商店街のど真ん中にあり、価格競争の日々でした。元日以外は365日休まず働いて本当に汗をかきました。

そうした中で大田区でも医薬分業の流れがやってきて…。土日や祝日にお店を休んでいるのを見て「調剤薬局っていいな」と思うようになりました。悩んでいたときに前職の社長から「横浜で調剤薬局をやらないか」と声がかかったので糀谷のお店を閉め、横浜で「大橋薬局」を開店しました。それが平成元年12月のことです。

Q:漢方薬局、ドラッグストアを経験し、最終的にドラッグストア&調剤薬局をオープンされたのですね。経営はいかがでしたか?

A:商店街の中にあった糀谷のときと違って路面店のため商圏が狭くてお客さんが集まらず、最初は苦労しましたね。ですが半年後にビルの上階にクリニックがオープンしてそちらが人気になり、処方箋を受けたことで経営が安定しました。

Q:ようやく落ち着けましたね。お店ではどのような点にこだわりましたか?

A:一般的な調剤薬局って、中が見えなくて入りにくい雰囲気がありますよね。だからお客さんがお店の前を通ったときに「このお店はなんか違うな」と立ち寄ってもらえるような、入りやすい雰囲気のお店づくりを心がけました。ごちゃごちゃしないように商品の配置には気をつけたり、季節ごとにレイアウトを変えたり…。いろんな試行錯誤が今思えば楽しかったですね。

心臓の大手術でふと考えたお店の将来 「このままでは…」

Q:お店は順調だったようですが、なぜ事業承継を考えたのですか?

A:一番の理由は私の健康問題です。40歳ごろで糖尿病になり尿酸値、血圧、肝臓の数値がすべて基準値の3倍になってしまいました。なんとかしなければと食生活を見直してなんとか数値を改善させました。

ところが2015年ごろ、医師に「心臓によどみがある」と言われまして……3本ステントを入れました。2019年の夏に再び検診でひっかかり、今度はステントも入れられないほど状態が悪いことが判明しました。そこで急遽、心臓のバイパス手術を受けました。

Q:大手術を受けることになったのですね。その間お店はどうされたのですか?

A:約10日の入院中、薬剤師でもある妻に任せたのですが、本当に無理をさせてしまいました。ちょうどレセプト業務が終わったタイミングだったのですが、それができていなかったら大変なことになっていたでしょうね。そのときから「自分がいなくなったらどうなるのか」「このままでは怖い」と思うようになりました。

Q:確かに、店主がいなくなって突然閉店するというのは個人店では珍しくありませんね。それまで事業承継などを考えたことはなかったのですか?

A:息子がいるのですが、薬剤師の道は断念しまして…。後継者がいなかったこともあり、65歳までは現役で頑張ろう!と思っていました。お店を継ぎたいという知人もいましたが、お店の経営は私が全て一人でやっていたため、かなり複雑化していました。引き継いでもらうのであれば、負債も含めてすべてを整理する必要がありました。

「いつか引き継げる相手を見つけないといけないけれどどうすればいいのか」

妙案がなく、月日が過ぎていく中で「自分の体がどこまで持つのか」ということが大きな悩みとなっていました。

眼から鱗の提案で一気に解決。「会社の大小ではなく信頼」で選んだベストパートナー

Q:そこからはどのように?

A:ちょうどそのタイミングで、白優社の白形さんが定期訪問で来たんです。白形さんとは彼が大手調剤チェーンで働いていたころに出会い、10年くらいの付き合いがありました。今の状況を包み隠さず話して相談したところ「営業権譲渡」という手法を提案されたんです。第三者承継はできないと思い込んでいたのですが、この解決策の提案には“眼から鱗”でした。「この手しかない!」と思いましたね。

Q:なるほど、提案を受けてすぐに決断されたのですか?

A:2020年の7月ごろに白形さんから「営業権譲渡」の提案がありました。白形さんには私の事情を包み隠さずに話していたので、私の事情を汲んでくれた上で10社以上を見つけてきてくれました。その後3社に絞り、面談してそのうちの一つの大手調剤薬局に決めて11月末に営業譲渡しました。

Q:提案から3か月で!スピーディーな対応もできるのですね。不安もあったのでは?

A:もちろん不安はありましたよ。でも白形さんはこの3か月の間に、深夜や休日も含めていつでもどんなことでも膝を突き合わせて相談に応じてくれました。多いときは連日、足を運んでくれました。前職の調剤チェーンでこうした事業承継の仕事をしていて、同じようなケースの事業譲渡をいくつも行ってきた経験を知っていました。私が不安に思う部分がよくわかっていて、専門的な知識に基づいてフォローしてくれました。

Q:ほかのM&A仲介会社もある中で一番の決め手は何だったんでしょうか。

A:白優社より大きな会社から複数お声がけはありました。でもどの会社も「M&Aありき」で私のことを一番に考えるというよりビジネスの側面が強かった。

それに対して白形さんは、付き合って10年間、一度も「M&A」の提案がなかったんです。きっと、私にとって最適なタイミングを見計らって提案してくれたんでしょうね。会社の大小ではなく、担当が信頼できるかできないかが一番大切なことだと思います。

それに白優社は幅広い業種を請け負うM&A仲介会社と違って調剤薬局に特化しているので、薬局のM&Aに詳しかったことも大きかった。

事業承継は従業員やクリニックにも良い結果に

Q:大切な事業を手放すのですから、パートナー選びは本当に大事ですね。実際に譲渡した際はどのようなお気持ちでしたか?

A:本当にホッとしました。「これで終わった」と肩の荷が下りました。

一度お店の閉店を経験しているので、閉店作業や手続きの大変さはよく知っています。だから営業譲渡という形で閉店せずにお店を引き継げたのは、物理的にも精神的にもすごく楽でした。お店が閉店していたらもっと寂しかったと思います。ただ妻はお客さんに会えなくなるので寂しそうにしていましたね。

Q:従業員からは不満の声はありませんでしたか?

A:それもなかったんです。従業員も私が手術したことを知っているので、私がいなくなったときのことが心配だったのだと思います。私が死んだら翌日からお店が開けられなくなり、従業員も、お客さんにも、クリニックにも迷惑をかけていた可能性があります。それが防げたことが何より良かったです。

Q:全ての問題をクリアできたのもご事情に合わせた、いわばオーダーメイドの提案があったからですね。

A:ええ。白形さんは私共の事情をよく知っていて、“M&Aありき”ではなく、今後の経営について話をする中で「解決策」として「営業権譲渡」を提案してくれました。だからすんなり受け入れられたんだと思います。

事業承継というと大ごとなイメージがあって、不安を持つ人は多いと思います。ですが私たちは息子や従業員に引き継ぐより、はるかに素晴らしい形で譲渡できたと思います。

Q:今後、第二の人生をどのように過ごしていくおつもりですか?

A:もともと65歳になったら引退して軽井沢に移住するつもりでした。私の趣味であるゴルフを妻も始めると話していて、妻や友人とゴルフを楽しみながらゆっくりとした時間を過ごしたいです。予定が少し早まりましたが、今後はそちらでのんびり生活していこうと思っています。

テキスト:ライター にしみね ひろこ



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